令和時代における資産の捉え方を考える

更新日:7月13日

炎天下の中、選挙戦が繰り広げられています。



「何をやるか」と同時に「本当にできるのか」

街頭演説に耳を傾ける聴衆と候補者の間で、その最終確認をするべく、各地でコミュニケーションが行われています。



問われているのは「本質的にどうなのか」ということ。

情報リテラシーを求められる現代社会に生きる聴衆は、表面の情報に探りを入れることを日常から求められるようになりました。この鍛錬が、政治の場でも発揮されているようで、上滑りの内容と判断されると、あっさりと関心のチャンネルを切られてしまいます。

(ひょっとすると、投票率が低下傾向にあること、また特に若年層に顕著であることも、その結果とも言えるかもしれません。)




ところで、選挙を見守る聴衆が片手に持っている飲み物も、

そして投票場の冷房も、今や政治の一大テーマの渦中にあります。

そう、「物価高」です。



実は、本質性を求められているのは、聴衆である私たちにも当てはまります。



令和への変遷を機に、インフレや円安が、一時的ではなく基本事項となりました。

名前だけでなく、そのタイミングで世の中の前提条件が変わったと言うことです。


これはつまり、今持っている資産が時間と共に「価値を失う」時代とも取れます。

その中を生きていく私たちは、資産の観点で言うと、本質性を求められているのです。



そもそも経済の世界では「名目」と「実質」と色分けして考えることを大切にしています。


簡単におさらいしてみましょう。

名目とは「値札」そのままの金額です。

実質とは、「物価を考慮した」ものとなります。


ちょっと乱暴にはなりますが、簡素化して例を挙げます。


奥様から毎週5000円渡されて、それを使って平日に1000円のランチを楽しんでいるとします。

ある日「お仕事頑張って」と10000円もらえるようになりました。

なんと素晴らしい。ランチのグレードをあげようか、サイドメニューをつけようかと楽しい気持ちでお店に顔を出したら、なんとランチが2500円になっていたとします・・・。


果たして、5000円→10000円だけを見て、喜べるでしょうか。